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03月

光世証券が、再び飛翔!伝説の人、巽悟朗氏が創設

光世証券が、再び飛翔!

伝説の人「北浜の風雲児」、巽悟朗氏が創設

 

●「北浜の風雲児」・巽悟朗  長男の巽大介(現・光世証券社長)は、きっばりと言いきる。  息子の眼に映る親父像をたずねると、 「弱点、死角がない。どこをどう切ってもスキがないんです」 http://www.mars.dti.ne.jp/~takefuku/essay/es04/es0410.html

「北浜の風雲児」・巽悟朗

 巽悟朗(たつみごろう、1935年7月18日-2003年12月23日)は、 元大阪証券取引所社長、光世証券創業者。大阪市生まれ。

同志社高等学校~同志社大学経済学部卒。 卒業後、山源証券で活躍、松下幸之助の眷顧を受ける。

1961年、25歳にして光世証券を創業、 一代で東証一部上場企業に育て上げた。

2000年から大証理事長、2001年に大証を株式会社化、 初代社長となり投資家のための改革に尽力した。

正五位、旭日中綬章を授与。  

 

 長男の巽大介(現・光世証券社長)は、きっばりと言いきる。  息子の眼に映る親父像をたずねると、 「弱点、死角がない。どこをどう切ってもスキがないんです」

 

北浜の首領として。一家の長として

 奔放な物言いと恰幅のよさとがあいまって、 「北浜のドン」「北浜の暴れん妨」「北浜の風雲児」 などというラベルが貼られてきた。

「暴れん坊とか、そういうものでイメージしてゆくと 、きっと、まちがうでしょうね」

 長男の巽大介(現・光世証券社長)は、きっばりと言いきる。

 息子の眼に映る親父像は、「作法の人」

「弱点、死角がない。どこをどう切ってもスキがないんです」

「ええか。最後のツメはきちんとやらんとあかん。それが男というもんや」

 独り言のようにつぶやくときもあれば、

「紳士というものは身だしなみをきちんとせなあかん。 週に一回は散髪に行け!」

 などととつぜん強い球を投げてくる。

 

「幕末の三舟を知っているか?」

 唐突に切り出したかと思うと、

勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟について語り始める。

おりにふれ、大介も父から説き聞かされた

 

「北浜の風雲児」・巽悟朗

1961年、25歳にして光世証券を創業、 一代で東証一部上場企業に育て上げ

2000年から大証理事長、2001年に大証を株式会社化 初代社長となり投資家のための改革に尽力した。

 

取引所その再構築なくして証券業界は二一世紀に生き残れない。

 世紀越えの大改革、その旗振りとして登場したのが巽悟朗である。

大証の理事長といえば大蔵省OBの指定席だったが、

二三年ぶりに民間から選ばれた。

「北浜のホープや、ホープや……と言われてきましたが、 ふと、気がついたら、語り部みたいになってます」

 理事長就任内定に伴う記者会見で巽は、

「まさに、火中の栗を拾う気持……」と、苦笑しながら、

伝説の人としては陳腐な台詞を口にした。

 

二十代にして、松下幸之助を口説く 北浜に残る父親の思い出

 アメリカンフットボールの選手として活躍、 四年のときには応援団長にも選ばれた。

大勢の団員を率いて、酒の飲み合いや鉄拳にかけた青春……。

 バンカラなイメージばかりが喧伝されているが、 それらは真の巽悟朗をものがたっていない。

もうひとりの巽は勉学にいそしみ、 羽織袴をつけて裏千家の茶会に通っていた。

 巽は剛毅な男のイメージを 意識的に営業用の貌として利用してきたふしがあるだけに、

この茶人としての貌がスパイスのような役割を果たしている。

 卒業後は数ある証券会社のなかでも、 あえて中小の山源証券をえらんで入社した。

「最初から大相場をやりましたなあ」

 仕手株の中山製鋼にアタックして 成功を収めるなど、ケタ外れの新入社員だった。

 独自の相場観を持ち、大口の顧客を次つぎに獲得した。 狙った目標は外さない。

松下幸之助すらも例外ではなかった。

営業で勝負するなら、

日本一の金持ちである松下さんから注文を……というわけで、

さっそく綿密な作戦を組み立てて行動を開始、

一年後に「キリンビール五万株」の注文をもらつた。

「偉い人は若い者を大事にします。

松下さんもぼくと会うてたら、 何か元気になるというようなプラス面があったのでしょうね」

 理不尽な話になると不動明王のように眼をひんむき、 夢を語るときは象のようなやさしい眼つきになる。

まっしぐらに駈けるひたむきな青年に誰もが参った。

 松下幸之助は「五〇年に一人の逸材」と言い、

田淵節也は「かれにはロマンがある」と言った。

いずれも巽という人間の「明日の値段」を買ったのである

 

 

長男の巽大介(現・光世証券社長)が言う!

「ぼくは最近、講演会やなんかで、 証券投資に関する教育を義務教育の段階から徹底的にやれと言っています」

金融の国際際的な知恵くらべが始まる。

ところが日本は投資技術についてアメリカに大きく遅れている。

それは教育に問題があるからだと指摘する。

 アメリカでは五〇州のうち二八州の中学校で株式投資が必修科日になっている。

英国でもサッチャー政権の時代から投資教育を導人した。

株はギャンブルだと教えられている日本とは出発点がまるでちがう。

「だから講演のときは、参加者の年齢層をみたうえで、

「みなさんは、もう手遅れです。 すぐに帰って、お孫さんの教育に全力をあげなさい!と言うんですよ」

 

「北浜の風雲児」・巽悟朗

「ええか。最後のツメはきちんとやらんとあかん。それが男というもんや」

営業で勝負するなら、

日本一の金持ちである松下さんから注文を……というわけで、

さっそく綿密な作戦を組み立てて行動を開始、

一年後に「キリンビール五万株」の注文をもらつた。

 

この、豪快で、繊細な「大物の器」を持った人物を

今の時代から探すと

エイチ・エス・エスの、澤田秀雄氏

豪快、豪傑ではないが、

繊細な「大物の器」を感じる!